05 小さい宿を応援

大きな宿は企業っぽく、小さな宿は家業っぽい。
大きい宿は常にある程度客室が埋まっている状態ではないと運営できないので万人向けになる。一方小さな宿は個性的です。意図的に個性的な場合もあれば、特に意識もなく、昔からの流れで、それが自然で、普通で。たぶん樹木がその土地の水を養分を吸って生えるように、自然にその姿になった宿。そういうのが小さい宿として残っていることもある。

そこに、日本の伝統・文化・民衆の風習が残っていたり。
小さな宿は半分”家”なのだ。

大変申し訳ないが向こう一年くらいは、新規のお客さんはご遠慮いただき、なじみのお客さんだけ受け入れるという。
奥能登の客室4室の宿。

「ほら、元気なBGMがきこえるでしょ?」

なるほど受話器からもよく聞こえる、赤ちゃんのオキャー、オギャー。大型旅館ではそんなことありえない。小さな宿は、半分家なのだ。心に残る湯宿は、日本の風土に根ざしているものだと思う。

 

 

 

ワクワクする、楽しい宿の運営を

たくさんのお宿のご主人、女将さん、スタッフの方々から、お客様を迎えることの大変さをたくさん聞いてまいりました。私の願いは、お宿の方が楽しくお客様をお迎えすることです。

「仕事を楽しくだなんて、そんな甘いもんじゃないよ。」

そういう声が聞こえてきても私の考えは変わりません。
笑いたくもない時に笑顔をしなければならないときもありますでしょう。
笑いたくもないお客様に笑顔にならなければならないときもありますでしょう。
ただ私は思います、作り笑顔を提供するのが本当のサービスではないと。つくり笑顔でお客様をとりあえず納得させられると考えるのはむしろ、お客様を軽く見ているのではと思うのです。お客様を軽く見た瞬間に、それは自分自身の仕事を自分で軽蔑することになります。

宿とは本当にすばらしい仕事です。
その旅が「いい旅だった」と感じるときの立役者はお宿の滞在時間だったりします。時にひとを感動させ、人の心に食い込み、人生を変えることさえあります。作業を効率化してしまった大きなホテル・旅館よりも、小さな宿にこそその可能性を秘めています。

ではどうするか?
あなたが本当の、心からの笑顔にしかならない状況を作りましょう。これはひとつの方法です。あなたのお宿に応用できるかはわかりません。
あるお宿のお話をします。宿泊した方の感想はは両極端でした。「とても気に入った。」と「がっかりした。」というもの。これはもしかしたら救いなのかもしれません。訪れたお客様の多くが「可もなく不可もなく」としか感じないほうがよっぽど問題です。件の宿の話にもどりまして、この宿は歴史が有り、多くの常連さんに愛されてきたのですが、その皆さんがご高齢になりもう旅行に出れなくなったり、この世をご卒業されたかたも多数に。「とても気に入った」の数が多数であればよいのですが、現在の集客をみるとその逆です。ジリ貧です。お宿のかたは「がっがりした。」といって帰るお客さんで心理的にへとへとになっていました。でも、このお客さんを失っては、ジリ貧で、両親から受け継いだこの宿を閉めることになる。そんな恐怖感を感じました。
私は伝えました。

「宿とお客のミスマッチ、双方に不幸ですよ。」

高齢のおふたりが営む宿でキラキラ懐石料理なんてできません。建物をリニューアルするお金もありません。少なくとも「とても気に入った」「なにも変えないでくれ」というお客様がいらっしゃるならばそこに賭けてみよう。何も変えずに、この宿が
「時代の流れとぜんぜん違うところに存在してる。」
ことを売りに、良くも悪くも他の宿と”違う”ことを前面に押し出して、少なくとも、「こんなはずじゃなかった」と思うお客さんは予約すらしない状況をつくる。ホームページなどのネットで発信しまくる(なにしろコストはタダみたいなものですから)。運がよければその”違い”を楽しんでくれる人の目に留まって、お宿が運営できる集客ができればいいなと思っています。
結果はまだでていません。これからです。

 

 

私の仕事はホームページを作ることでは有りません。

集客のお手伝いのなかで、ホームページやネットを利用するといっていいと思います。

お宿はちゃんと集客して経営、とくに資金繰りに心配のない状態にすることが大切です。私たちのサービスがすこしでも助けになれれば、それこそが私どもの喜びです。

幸せが生まれる場所

私事ですが、父は温泉好きでした。特に山奥の秘湯が好きでした。子供のころ連れていかれた後生掛温泉を今でも思い出します。ちちはここを「ごしょがけ」と呼んでいました。当時私自身は温泉が好きだったかというとそんなことはなく、温泉とは怖い場所だった。なぜか?
泊まっていたのはオンドル小屋という火山帯の地熱で床が温かい部屋だ。
なにやら薄暗い木造のタコ部屋みたいなところにムシロが敷かれ、そこを裸電球が照らす。
湯治客の大人たちはそこで囲碁に興じたりする。子供の自分には陰気でなじめない場所で、ホテルのほうがよっぽどいいと思った。
さらに風呂場に連れて行かれると、床も天井も壁も木造でやはり薄暗く、打たせ湯の落ちる音が浴室に響き渡り、うるさい。湯気が充満していて視界も悪く「父とはぐれてしまったらどうしようと」心細いことこの上なかったのだ。
今見ると、はぐれるほど広くないことを知っておかしくなった。
しかし、旅館へ泊りに行くとこの日ばかりは両親と4人で一緒の部屋に過ごすことがうれしく、一緒の部屋に布団が4枚並ぶのを見てうきうきしたものだ。
僕はこころに明かりが 灯るような体験を旅館や温泉宿からもらいました。 いまその灯りで宿を照らしたい。宿で過ごしてきたすばらしい時間に感謝を込めて
旅館とは、宿とは幸せが生まれる地点であり、時間である。私は小さな宿を応援することでそこにかかわっていく。

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